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名匠戦赤 レポート

銀鯱杯から地元に帰ってきた時今年中に愛知に戻ってくる予感を薄々感じていたが、翌日に妖精帝國の名古屋式典という事情も重なって2ヶ月前に参加を決めたQMA6店舗大会。正確には妖精帝國の式典日程を見て、毎月第2土曜日に名匠戦が開催されるということを思い出したというのも正しい。随分前のミカドの店舗大会であった名古屋のプレイヤーに『そのうち名匠戦に行きます』と伝えたのも大きかったし、銀鯱杯の時の雰囲気が忘れられずに戻ってきたというのもある。
名古屋式典のチケットも確保して銀鯱杯のように緊急参戦ということもなく割と気長に参加はできたけれど、前と違い今回は単独での参加。加えてジャンル限定戦も過去に1度だけで、南越谷のような形式代表戦も当然初めてである。

名古屋到着前

銀鯱杯のときと同じ夜行バスに乗っていったものの、前回と違い連れがいないのは寂しかったかな。話し相手がいると、緊張感というのもほぐれていくものであるし…。

名古屋到着後

とりあえず父の単身赴任先の自宅で荷造り。2泊泊ることができること自体も贅沢だが、周辺に食べるところが少ないのは困りものだった。名古屋港周辺に好き好んで住む人なんて、地元では誰もいないらしいので仕方がないことだけど。

アーバンスクエア大須

9時の開店突入と同時に入ってみたものの、銀鯱杯の時のように店内対戦はできず。たまたま銀鯱杯2位だったプレイヤーがいたので久々に挨拶した後は、2日後に備えて名駅地下街の金券ショップに行く。

名駅地下街

鉄道の日切符を探していたものの見つからなかったのに加え、高速バスの時間があまりに不定期だったので近鉄特急の回数券を1枚購入。最も安く行く手段として、近鉄株主優待券を買う手もあったが、乗り継ぎを間違えると致命的かつ時刻表を全く調べていなかったので諦めた。

再びアーバン大須→栄

大会の受付を済ませた後はスガキヤで昼食後に、時刻表探しに栄地下街に行く。以前行った時に同じく栄地下街は名駅地下街以上に迷いやすいと感じているのだが、単純に案内が不親切だからかな…。名古屋地区周辺の時刻表が欲しかったが、やむおえずポケットサイズの時刻表を購入して大須に戻る。
大会前はフェリシダ大会に来ていた人とアニサマサイリウム投げ云々について喋っていた記憶ばかりがある…。

大会ルール

名匠戦は、1回戦→形式代表戦、2〜3回戦→完全同一禁止のジャンル戦、決勝戦→1本目ジャンルランダム・2本目自由選択というルール。要するに、1回戦で形式代表を決定して、2回戦以降はジャンルのエキスパートを決めるトーナメントと考えるとわかりやすいのだろうか。

参加者

スポーツセレクト→6人
スポーツパネル→5人
スポーツタイピング→9人
スポーツマルチ→2人
野球→18人
サッカー→10人
その他→2人

野球やマルチが1ヶ月で間に合う訳がないということで、セレクトで参加。

1回戦

点数は公式サイトに後で反映されると思われるので軽く。
通常大会と違い、形式戦というのは駆け引きも何もなく純粋に解けた数が多くかつ速度が速いプレイヤーが勝つもの。とりあえず規定の250点を獲得できるように頑張るとする。

1セット目

200点台で敗退かと思ったらダミープレイヤーの存在を忘れていたので形式代表選に進める。

2セット目

250点台で4位。1位は360点台でそのプレイヤーが最終的に2位に入ったのだから純粋に力不足。そんな成績だったので敗者復活戦にも引っ掛かる訳もなくここで終了。

大会を見ていて

ジャンル限定戦には縁がないというか純粋に特定ジャンルを極めたプレイヤーが強いのだから、敗退は仕方なかったのかな…と振り返ってみた。数年同じことをやっているプレイヤー相手に2ヶ月程度の準備期間では足りなかったのも事実だし、それだけ数が足りなかったのも事実。調べ足りていないセレクト問はまだあるのでもうしばらくは調べるかもしれないが、それ以降のことは検定を廃プレイする以外全く決めていない…。
今回の遠征で色々と疲れていたり考えたいこともあるので、ゲームセンター通い自体を今日から1週間休もうかと思う。口や文面で書かれている引退なんて言葉は当てにはならないし、QMA自体を辞めるつもりも今はない。

大会後は

主催者に挨拶だったり、打ち上げに参加していたり…。主催者から来年2月に開催される銀鯱杯のことも伝えられたが、連れが来ないとわかっている以上に諸事情というか時期的な問題で今年は厳しそう。関東からどれだけ遠征者が来るかはわかりませんが、参加したい人は頭の片隅に入れておくと良いことがあるかもしれません。
打ち上げ終了後は終電1本手前の地下鉄で帰宅。寝たのは夜中の2時。

最後になりましたが

冒頭に書いたように色々な事情で今年中に名古屋に戻ってきました。来年以降もQMAシリーズをプレイするかは不明ですが、機会があればまた行くかもしれません。このような場をくれた大会スタッフの皆さんに感謝しています。