見切り発車中

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貴方は妖精の存在を信じますか?

今日のタイトルは、この後書かれている宗教勧誘でふと思い浮かんだ台詞。妖精を信じたいな…と思っていたから、助かったのかもしれない。


昨日、中学の頃に友人に会うということで、久々にレストランに行った。数日前に、突然電話がかかったので約束をした。高校の頃はほとんど会っていなかったのもあり、話を聞いてみたいというのもあった。会ってみて驚いたのは、自分が全く知らない赤の他人がいたことだった。その時点で、今回行われることをある程度予想していたが…。


その友人は免許を収得して、祖父から車を譲り受けていた。ギアは4速で最高100km/hしか出ないオンボロな車だった。中学の卒業後に農業高校に進学していたのは知っていたが、その後は自動車整備の専門学校に通っていると聞いた。赤の他人は、その友人だったらしい。
車でファミレスへ向かうことにした。そのレストランでラーメンを注文して、自動車整備士を目指しているということで、F1の話を中心に雑談していた。残念ながら、友人はモータースポーツを良く知らなかったので、話はグダグダだったけど。


適当にして帰りたいな…なんて思った矢先、突然不思議な体験を聞かされた。『仏法1日30分していたら、運がたまるようになった』と。その中身は、交通事故にあったけど奇跡的に助かったやら、彼女ができたらやらと事実のよう中学の頃の友人が話していた。その話を聞いて、『カルト宗教の勧誘だな』と感じていたが、とりあえず話を聞いてみた。彼が言うには、『運というのは溜まる物ではあるが、操作できるものではなく減っていくものだ。』ということだった。その後は、新潟の地震を筆頭に地震が増え続け、東海地震が近いうちに起こるだろうとのことだった。教本に書かれていることで、既に予知されているものともつけ加えられていた。7月に起こった千葉の地震も書かれていた事で、福知山線脱線事故も仏法を唱えたものは救われていたとも語っていた。赤の他人が仏法についてを説明していたが、自分はわざと話を聞いていなかった。だが、途中で注意されてやむ終えず聞いた。相手は必死になって説得しようと、中学の頃に暴力を振るわれた話をした。友人が言うには、中学と高校の頃は引っ込み思案で暴力を振るった奴が苦手で、その仏法を唱えるようになってからは急に大人しくなったなんて話していた。彼が見た光景では、自分は中学の頃にいじめられっこに見えたのだろう。だが、そのいじめていた子は、当時ガキ大将みたいな中学生だったので自分はこう話した。『確かにいじめれていたかもしれないけど、今思えばいい思い出だったかな…。』と


そこから勧誘が上手くいかずに、言葉に迷っているようにみえた。この機会に、創価学会について聞いてみたら、赤の他人が予想通り熱弁を繰り広げていた。そしてこう思った『この友人とは一生付き合えないな』。サークルの経験が生きたのだろう、自分は適当喋り続け、教本をもらっただけで引き下がってくれた。レストランでごく普通に料金を払い、もの悲しいトランスが流れている中、家に無事帰った。
その帰りでは普通の会話していたのに…。


今回の話は、ノンフィクションです。


今回勧誘を受けたのは、顕正会と呼ばれる日蓮系の宗教。家に帰った後に調べてみたら、本当にカルトの一つだったことも確認。冨士大石寺顕正会 - Wikipediaによれば、反創価の団体の一つとのことで、強引な勧誘で有名だそうだ。今後も電話がかかってくるかもしれないし、来年1月の成人式でも友人は強引な勧誘をするだろう。残念ながら、距離を置かないといけないのが寂しい。


折伏を逃れたのは、数年前にオウムの実態について書かれた本を読み、ある程度カルトの知識があったことと、迷っていた頃に旅に出る決心をしたからかもしれない。ただ、もっともの原因は『妖精を信じていいのだろうか?』と感じたからだ。妖精なんていうのは、所詮は神話上の偶像であるのかもしれない。ただ、仏法のみを信じることよりはその時に妖精を信じた方がいいと感じた。仏法を唱えれば救われるだけならば、世の中は全て良い方向に変わるだろうし、身を任せる上で運が生まれると考えている。常に不受理な社会であるのも事実だけれど、今は我慢する時なんだろうか。しかしここまで書いて思うに、宗教よりも神話でしかない偶像の妖精を信じているんだろうな…。


余談だが、父にこのことを話したところ、自分と同じくらいの年に創価学会の集会に連れ去られたことがあるらしい。抜け出し方は思い出せないが、経典が馬鹿らしかったそうで途中で脱出したとの事。その前には、統一教会系からも勧誘を受けたらしい…。