見切り発車中

はてなブログの招待状が届いていた!

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画像は隅田川花火大会の時に撮影した写真です。

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はてなブログのヘルプには記載されているけど、見たまま編集で画像をアップロードする方法

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読売巨人軍お家騒動

以前はてなダイアリーで、千葉ロッテマリーンズお家騒動に触れたので、ここでは今日話題の読売巨人軍お家騒動について触れてみる。

全文が掲載されているサイトを探しているのだが、はてなブックマークを見るかぎりでは日刊の記事が人気らしいので、それを元にしてまとめる。紙ならまだしも、webページをわざわざ分割して書いているサイトもあるのだが、正直理解出来ない。

清武代表が一番強調したいのは下の部分だと思うので、そこから論点を進める。

桃井恒和オーナー兼代表取締役社長や原監督と協議して、ヘッドコーチは岡崎氏と内定しており、その旨を岡崎氏や監督に伝え、オーナーが決定した年俸で今日 11日に契約書を取り交わすことになっていました。ご本人やチーム首脳もそのつもりで、宮崎で秋季キャンプに入っていたにも関わらず、渡辺氏はそれを覆し、江川氏をヘッドコーチにするというのです。

要するに球団内部では岡崎コーチをヘッドコーチにするという話だったのに、ナベツネこと渡辺恒雄さんの一声によって江川卓さんをコーチにしようとして、反発したという話らしい。こんな話で文部科学省を使うなら、読売巨人軍の球団事務所を使えばいいのではないかと思うのが、他球団ファンの考え。勝手な推測だけど、西武の球団代表と堤前オーナーとの関係に近いのだろうか。ナベツネが強権を発動するのは当然だろという声もありそうだけど、一場靖弘選手を巡る裏金でオーナーを辞めたので表舞台からは引いているはず。ただし横浜の球団買収話では表に出ているので、全く球界との関わりが無くなったわけではない。

質疑応答より、一番気になった箇所を引用する。

 -巨人軍内部の問題をなぜこういう形で会見するのか

 清武代表 76年の歴史を持った巨人軍だから、影響力も大きい。プロ野球ファンの不信感を招くことになる。コーチの人事などが鶴の一声で覆ったりすると、他の球団でもまかり通ることになる。巨人軍だけの話しではなくて、選手会なども含めた全体的な問題だと思う。

 -なぜ文部科学省での会見なのか

 同席した弁護士 プロ野球は文科省の管轄ということがある。巨人軍という重要な立場にある球団で、最高権力者が企業コンプライアンスなどを破って しまった。渡辺商店のようになってしまったのでは困る。どこで会見するのか迷ったが一番適切な場所だと思った。文科省とはやりとりしていない。

当事者は読売巨人軍がプロ野球界の盟主だと思い込んでる節があるらしい。そんな栄光はとっくに消え去った印象なのに、まだまだ変わっていないのだろう。それはそれで奇妙な気がするけど、開幕延期にまつわる対応を見るに、ジャイアニズムはまだまだ残っている。

会見があると聞いた時は、島田紳助さんのように暴力団絡みのトラブルか菅野ドラフト話のどちらかだと思ったので、正直な所幻滅している。ただ、ナベツネに歯向かう内部関係者ということでは歴史を変える出来事になるかもしれない。

江川さんは空白の一日といい、巨人ではいつも犠牲者になっている。巨人としては江川さんを悲劇のヒーロー扱いしたいのだろうか。ちなみに当人のコーチ就任を否定している。

江川卓氏は「まだ正式に話は聞いていませんが、20年も現場を離れているにもかかわらず、巨人軍 ヘッドコーチに名前が挙がるということは、大変名誉なことだと思います。ただし、このような状況では、入団の時に小林繁氏に大変ご迷惑をかけてしまったの と同様、岡崎郁氏をはじめ、多くの関係者にご迷惑をかけてしまうことになるので、お受けするのは難しいと思います」とコメントした。

2000年代になって、小林繁さんとCMで共演したとはいえ、迷惑をかけているという意識が相当強い。コーチ就任は当事者が表舞台からいなくならない限り、多分ないと思う。そういう意味でも90年年代の球界を代表する阪神のお家騒動とは別物の騒動だろう。プロ野球界で大々的に騒ぐのはまだしも、社会問題として持ち出すのは変だと思うが。

はてなブログの招待状が届いていた

この日記をどうするかは決まっていないけど、できるだけ並行して更新できるように頑張ってみます。そんなはてなブログ見切り発車中です。

この日記の今後

日記とblogは本来別なので、分けて何かができるはず。何にするかは決めていないけど、はてなダイアリーをブログに移転する予定は現状ない。

はてなダイアリーを始めたきっかけ

昔のはてなダイアリーに記載しているかもしれないし、実際にTwitterでも書いた記憶があるのだが、改めて記載してみる。はてな記法での編集に慣れているけど、βテストなのでデフォルト設定で試そう。ブログといえば、カテゴリー指定があるはずなんだけど、編集画面を見る限りどこにも見当たらないのが気になってしょうが無い。

はてなダイアリーのサービスが始まったのは、βテストが2003年1月で正式版が2003年3月と株式会社はてなの会社沿革に記載されていた。自身が始めたのは2003年6月7日と比較的早かったらしい。今では沢山あるブログサービスにしても、niftyのココログ位しか無かった時代。はてな民が嫌うアメブロにしても、賞金ランキングの影響か鬼嫁日記 が人気だった時代で、芸能人ブログなんてアメブロにはなかった。芸能人ブログにしても、時の風雲児ホリエモンこと堀江貴文さんでお馴染みのlivedoor Blogが人気だったような記憶がある。今のlivedoor Blogは2chまとめサイト御用達の状態で、まともに読んでいるのはF1通信とnatsuさんのblog位しかない気がする。

はてなダイアリーを始めたきっかけは、周りの声優イベンター が声優イベントレポを書いているのを見て面白そうだと感じたからと不順な動機だったりする。サイトの更新チェック用にWWWCはてなアンテナを使っていたので、はてなIDを自体は持っていたし、前述のように他のブログサービスの選択肢が無かったので事実上はてなダイアリーのみだった。さるさる日記のようなweb日記もあったけれど、当時は全く興味を示さなかったし、殆ど読まなかった。さるさる日記やHPを作成していたら、ひょっとしたらアメブロを使用していたかもしれない。ある意味では、自身のweb人生を変えたきっかけだった。

声優イベンターといっても、当時は声優の野川さくら一筋でDDな人ではなかった。かといって、ライブやイベントに行くほどの資金もなかったので、アニラジの感想が主になった。当時のネットラジオは現在程充実していなかったので、必然的に地上波放送が中心で、時には東海ラジオAM神戸を聴いているような人でした。ちなみに、関東に住んでいるのにも関わらず、文化放送ではなくAM神戸ばかりを聴いていたような妙な反骨精神を持っていた。あの当時のAM神戸では、後々栗林みな実さんのマネージャーになった斎藤Kさんが関わっているコーズプランニング絡みの番組ばかりを聴いていた。コーズプランニングの番組を聴くようになったのは、高校時代の悪友が何故か四谷式Cyberprojectを録音していた所が原点だったので、日記を書く1年くらい前の話になる。この話題とは直接関係しないけど、関東で放送していないのにもかかわらず、何故番組イベントを新浦安のダイエーでやっていたんだろう。

その後は、日向めぐみさん絡みの情報とか伊月ゆいさんの情報等のアニメ情報を中心に、思ったことを淡々と綴るような雑記になっていた。あの当時は個人ニュースサイトに憧れていた節があったので、それの真似をしたかっただけだったのだろう。アクセス数を増やすなら、面白い話題を不定期でもいいから提供するか、俺ニュース風に見やすくタイトルとURLを羅列するのが理想なんだろうけど、何を思ったのか中途半端に1つのニュースをピックアップして、書くようなスタイルを取っていた。今もそうだけど、日常について触れるような日記を書くのも嫌だったし、当時も今も明らかにオーバースペックだと思っていたはてなダイアリーで文字だけで記すのは勿体無いと思ったのも大きかったのかもしれない。

ニュースを1つピックアップするスタイルを縮小したのは、はてなブックマークのようなソーシャルブックマークが始まった影響が大きい。100文字以内ならコメントを書けるし、個人ニュースのように気になったニュースを沢山記載することも可能なのが衝撃だった。初期のはてなダイアリーに存在した注目URLのように、注目記事がたくさん出てきたのも使いやすいと思った要因だった。

2005年5月から初めたmixiも大きかったけど、mixiは使用し始めた当初から使いにくくてしょうがなかったので、はてなダイアリーに比べると更新する意欲が無くなっていた。mixiの日記機能は有料サービスでない限り、はてな記法のような日記を書けないし、何よりもmixiにログインしていないと読めないので、正直書く意義がない。持論だけれど、mixiに閉じた日記を書くくらいなら、自分一人で紙の日記を書いた方がいいと思っている。mixiは成り行きで管理しているコミュニティと一部のマイミクの連絡用以外は、余り利用していない。

Twitterを始めたのは2007年4月21日で、当時は余りにも使いにくくて放置していた。一般に流行ったのは2009年辺りからと記憶しているので、本格的に再開したのもその辺りから。Twitterは使用年数に対して、Tweet数が少ない。TV番組実況かはてなブックマーク記事の垂れ流しが大半で、リプライでアカウントと余り絡まないのも大きな要因な気がする。ちなみに、一時期のはてなダイアリーTwitterのログを転載するだけのツールと化していた。あの当時はTwitterで満足していたし、日記を更新する意義が急に無くなっていた。そんな日記をタイトル改め再開し始めたのは、Twitterのログを転載するだけの日記だとつまらないと、遅くなったけど気がついたからである。それにTwilogにも転載しているのに、はてなダイアリーに残す必要性は全く感じなかった。

日記を再開したのはいいもののテーマが思い浮かばない。そこで考えたのは原点に戻って、近況らしき文章と気になった記事をピックアップするスタイルに戻すことにした。以前のように毎日更新ではなく、不定期でできるだけ掘り下げた内容を書くように心がけているけど、現実は上手くいっていない。はてなブログ開始から意欲的に更新してみたら、4日目に招待状が来た。誰から招待状が来たかはわからないけど、日頃更新した成果なのだろう。はてなブログとダイアリーの使い道はまだ決まっていないけど、βテストの間に目標を見つけてみよう。

最後に昔書いた気持ち悪い文章を全文引用して、この話題を締める。はてな記法で引用できないので、後でHTMLで修正しよう。

webなんて巡回すれば発見できる事は多いのだが、ここ数日は巡回先が少なくなったためか見つからないことが多い。
過去にも何度か書かれているが、インターネットが家庭に入ったのは、中学の時。ISDNが早いと言われた頃で、アナログ回線だった。Irisなどといったダウンロードツールも知らず、ダウンロードするのも一瞬でなかった。ネットも満足に使えなかった。

巡回先が一番多かったのは、このサイトを運営した頃だったか。今思えば、受験期と重なっているという、馬鹿なことをしていたが。
周りがmixiに移行しつつある現実を見ていると、時々取り残されているのではないかと錯覚する時もある。各個人に様々な事情があるから、移行することは悪いとは思っていない。

ただ、自分はここに書きつづけている。
他のBlogサービスの移行も考えたことがあるが、Blog形式の投稿に馴染めず挫折。ライブドアを借りたのは、その名残。この日記も書きつづけて、6月で3年となる。雑記のみで続けていることも意外であるが、何かの目処を悟った時にこの日記は終了するだろう。声優絡みになるのか、大学関係になるかははっきりとしていない。別のHNに移行して、ネットの創作活動を続けるとも考えていない。

今はただ…書きつづけようとするのみだ。

はてなブログ開始

何となくはてなブログの記事を書くボタンを押してみたら、はてなブログの登録画面が出てきたので登録してみた。

Twitterはてなダイアリーはてなブログの招待状が欲しいと書いていたら、誰かがはてなブログの招待状を送ってくれたのだろう。心当たりある人が真っ先に出てこないけど、世の中願っていると良い事が起こるんだなと感じた瞬間でもある。

はてなダイアリーと管理コミュニティ以外放置気味のmixiTwitterの使い分けは決まっていないけど、はてなブログにははてなダイアリーとは違うことを記してみようかなと考えてる。具体的に何を書きたいかは決めていないけど、それははてなダイアリーを始めた時もそうだった。

そんなこんなで、このはてなブログをよろしくお願いします。

追記:見たまま編集を試しにやってみた。現状では見たまま編集よりもはてな編集の方が使いやすそうだけど、暫くは見たまま編集を試してみる。

googleリーダー

新バージョンになって、下スクロールで既読にできるようになったので巡回は以前よりも楽になった。ただ、巡回するサイトの量を相変わらずつかめていないのは致命的である。何年もRSSリーダーを使用していて未だに解決できていない問題点だけど、Twitterでニュース系のアカウントをチェックするようにしたから、以前よりは見る量は減っているはず。その分、情報が増えてるけど…。