見切り発車中

はてなブログの招待状が届いていた!

HTMLタグとJavaScriptを悪用してはてなブログにフィードバックするのが理想なんだろうけど、どういう記事を書けばいいのかわからない

昔々HTMLタグを悪用したサイト作りなんていうのがあったけど、どういうサイトだったか思い出せない。はてなブログのヘルプには文字数が記載されていないので、文字数を試してみるテスト。ちなみにはてなダイアリーの上限文字数ははてなダイアリーヘルプによれば以下の通り

※1日の日記に登録できる最大文字数は、半角で約6万5千文字、全角で約3万2千文字までです。制限を超える文字数を登録すると、日記内容を編集できなくなることがありますのでお気を付けください。

文字数を増やすには文字を増やすコピペが適当だろうということで、コピペ集を検索したら、千葉ロッテマリーンズのコピペ集が見つかったので、まずはそれを全て貼ってみる。

かわいそうな○○

1 名前:( ´ー`)ネイサン・ミンチー(`Д´ メ ) :02/06/05 22:55 id:Pmiq+JqX
広島時代の'00年、前年の成績2勝9敗が祟り、5200万も年俸を下げられた可哀想なミンチー。
中4日で登板しないと力を発揮できないのに、雨でローテを狂わされる可哀想なミンチー。
打たせて取る投球が身上なのに、ザル守備に足を引っ張られる可哀想なミンチー。
多彩な変化球を操る器用な投手なのに「フォームに迫力がない」とクサされる可哀想なミンチー。
ランナーを貯めるとキレてリズムを崩す、繊細かつ可哀想なミンチー。
去年、パ最優秀防御率のタイトルを獲得しながら、14敗もした可哀想なミンチー。
'99年のジンクスを気にしてたのに、無理矢理2度目かつ悪夢の開幕投手をやらされた可哀想なミンチー。
203cmという長身のため、電車に乗るのに苦労してる可哀想なミンチー。
自称親日家にもかかわらず、ウニが食べられない可哀想なミンチー。
松坂大輔に因み、3人目の子供に「ケーシー・ダイスケ・ミンチー」と名付けたのに、
その松坂に今年の開幕戦で黒星付けられた可哀想なミンチー。
そして何より、打線の援護を得られずに負けてばかりいる可哀想なミンチー…

悔しい時はベンチ裏で気の済むまで暴れていい。灰皿壊そうが壁にヒビ入れようがファンは許す。
だからお願いです。来季もロッテにいてください…
491 :◆54kmV861ms :2005/07/15(金) 23:08 id:qMhNsQS2
>>485
99年の都市対抗、ホームラン二発打たれ東芝府中の灯を消してしまったかわいそうな直行。
プロに入ってからも走者を背負うとビビり出す投球が続き、武藤二世とか呼ばれてたかわいそうな直行。
02年、ダブルストッパー構想とかブチ上げられながら11連敗中は敗戦処理やってたかわいそうな直行。
先発で連敗止めたのに、注目はやっと初登板を果たしたコバマサにほぼ全部奪われたかわいそうな直行。
その年14勝しても翌年開幕投手にしてもらえなかったかわいそうな直行。
アテネ絵日記スレで友達いないキャラにさせられてたかわいそうな直行。
オリジナルのタオルが高いとか一部から叩かれてたかわいそうな直行。
タオル回し登場パフォーマンスをギャオス!!に真似されたかわいそうな直行。
エースなのに被弾王で負け頭となってるかわいそうな直行。
挙げ句本当のエースはスンスケだとか言う人もいるかわいそうな直行。
援護率が低いのにもっと低いセラフィニがいるために、かわいそうと言われないかわいそうな直行。
そして何を言ってもやっても「地味だけど」で片付けられる地味な直行……

結論。千葉ロッテマリーンズはエロい。

俺のデニスをサブローとする彼女を制した。
「フェルナンデスしないの?」シコルスキーな彼女は不満げにしている。
「いや、その必要は無いくらい立川だ」彼女をベッドに押し倒す。
「いやっ、あんまりランボー(ディアズ)にしないで」
「マドロックしいこと言うなよ」
諸積になった彼女のヒルマンに俺のハートは激しくグレイブスした。
黒々とした初芝の下のホールはすでに愛甲ですっかりウィットモア。
軽く指でチェンバレンしただけで重光があふれ出しショートしそうだ。
もう準備ウォーレンと判断し、自慢のジョニーを彼女の秘密の園川に
一気にキャリオンしていった。
「エカ?ええのんか?」言葉責めしながら激しく腰をフランコ。
「喜多ァァッ!磯ォッッ!もう定詰ェッッッ!!!」
快感にゆがむ顔がとてもインカビリアだ。
俺もマックスが近づいてきた。
「で、出レック、飲メイ!」ボーリックを引き抜くと、彼女の口内に白武を注ぎ込む。
「すごく小宮山・・・」彼女が満足そうにつぶやいた。

巫女みこナース・ハツのテーマ

「皆さーん、元気ですかー!!」「それでは早速、行ってみよ~!!」
「ハイ!」「6・4・3・併殺!!!」
「88年」「ドラフト4位」「入団2年でサードのレギュラー」
ドキドキ 止まらない
「95年は」「三割」「ベストナイン」「80打点でなぜか打点王」
いつかは 打撃コーチ多分……
ボールが三塁 行くたびに 胸が 胸が 疼くのよ
ト・バ・シ・テ・ホ・シ・イ 初芝 気合の一振りで
Double Play 熱いチャンスに 打席に 立って 併殺打
怒るに 怒れず メガネを 見ては癒されて
Mr. マリーンズは 全部初芝のための称号 36歳
まだまだやれる All Night Long I Miss you
きっとこのまま 素敵な選手 初芝さん
代打もファームもスタメンも 来期の去就も 本人次第
現役続けて 五年 十年 いっそ二十年!! 「好きだよ。……大好き!」
初芝清!
「まだまだいくよぉ~~~!!」
「初芝清初芝清!」「4番サード 初芝清!!」
「初芝清初芝清!」「右の代打に 初芝清!!」
「初芝清初芝清!」「昔はピッチャー 初芝清!!」
「初芝清初芝清!」「落合→上川→初芝清!!」
「初芝清初芝清!」「イチローのはずが 初芝清!!」
「初芝清初芝清!」「併殺失策 初芝清!!」
「初芝清初芝清!」「初芝清初芝清!」
「初芝清初芝清!」「初芝清初芝清!」
「最後にもいっちょー、ハイ!」
「初芝清!」

【時間を】シーズン前と後のファンが会話【越えて】

 672 名前:代打名無し 投稿日:03/09/09 19:58 id:uc7l/hAd
「キャンプイン前のマリサポなんだけど、そっちは9月のマリサポ?」
「ああ、そうだよ」
「もちろん優勝争いなんてしてないよね」
「そりゃそうさ。今年も定位置ってところさ」
「やっぱり帳尻は凄いの?」
「例年通り、圧倒的に強いね」
「またか…。ということは、ジョニーが復活して大活躍?」
「いや、ジョニーは今年は絶望なんだ…。」
「え?じゃあローテはどうなってるの?」
「ミンチー・直行・ひろゆき・俊介・薮田ってとこかな」
「最初の二人はわかるけど、なんでひろゆきが先発なの?シコたんならともかく」
「いまやエース級の活躍だよ、ひろゆきは」
「それより晋吾はどうしたの?晋吾は?」
「どうしたんだろうねえ…」
「なんで薮田がローテに?コースケはどうしたのさ」
「さあねえ・・・」
「ま、まあいいや。打線はどうなの?ローズはやってる?」
「・・・」
「どうしたの?よく聞こえないけど」
「もうロッテにいないんだよ、ローズは」
「え?活躍できずに途中帰国ってことか。だからエカは…w」
「いや、実は…」
「ま、それは予想できたからいいよ。今のクリーンナップはどんな感じなの?」
「井上純・幸一・ホセ」
「はあ?」
「だから井上純・幸一・ホセだって」
「いくらなんでも冗談だろ?というかホセって誰よ」
「途中からきた外国人選手だよ。長距離砲」
「ああなるほど。それにしても井上純が3番?幸一が4番?どうなってるんだよ」
689 名前:代打名無し 投稿日:03/09/09 21:45 id:uc7l/hAd
「いや、活躍してるんだよ井上純も幸一も…。予想外にね」
「それにしたって格ってもんがあるだろ。福浦はどうしたんだよ」
「福浦は今2番だね」
「2番って…。なんでそんな中途半端な打順なの?」
「意外に使い勝手が悪いんだよ、福浦は…。置くところがないってのが本音かな」
「一昨年の首位打者、昨年も3割打ったバッターに対するコメントとは思えないぞ」
「そうなんだけどなあ…」
「じゃあなにか、福浦は井上純以下ってこと?」
「井上純の方が現状では信頼できるんだって」
「嘘だろ…?」
「信じられないのはわかる。でもそれが事実なんだ」
「だってクリーンナップ要員は他にもいるだろ?勝負強いメイは?今年爆発するサブローは?頼みの初芝様だっているだろ?」
「・・・」
「そうか、ケガだろ?メイもサブローも初芝もケガで浦和行きで仕方なく幸一を4番にせざるを得ないんだろ?」
「いや、ケガじゃないよ」
「…え?」
「メイは外国人枠の関係で浦和。サブローは6番打ってる。初芝は代打の切り札的存在だな」
「そんなバカな…」
「幸一が4番を打っているのも実力だよ」
「実力って…。サカイさんがいないから幸一をセカンドで使うのはわかるよ。でも4番はないんじゃないか?」
「幸一は現時点で福浦より上の成績を残してるんだ。しかも勝負強い。4番にふさわしい存在だ」
「…あんた、エカだろ」

編集画面によれば、ここまでで大体3800文字らしい。32,000文字の長文は予想以上に大変だと気がついた。論文を書くなら、32,000字は普通だろうけど、400字詰めの原稿用紙で80枚の文量だから、普段のblogではそこまでして書かない。きっこの日記なら毎日そのペースで書くことは十二分に可能だろうけど、毎日そのペースでは書けない。

コピペを探しても超長文は思い浮かばないので、wikipediaのAKB48記事をコピペしてみる。

概要

東京都千代田区秋葉原外神田)に専用劇場であるAKB48劇場を持ち、「会いに行けるアイドル[1]コンセプトに、専用劇場でチームごとに日替わりでほぼ毎日公演を行っている。メディアを通した遠い存在だったアイドルを身近に感じ、その成長していく過程をファンに見てもらい、共に成長していくアイドル・プロジェクトとされている。近年は本業以外にも個々で活躍するメンバーが増えている。

2005年、専用劇場で初の公演を行い、2006年2月にシングル「桜の花びらたち」でインディーズデビュー。同年8月シングル「会いたかった」でメジャーデビュー。当初は全くの無名で、関係者からの期待も薄かった。しかし、口コミなどでアイドルファンを中心に話題となり、徐々に専用劇場が連日満員になっていく。2007年には「アキバ枠」で『第58回NHK紅白歌合戦』に出場するものの、当時は「秋葉原のオタク向けアイドル」というイメージが強かったこともあり、世間の関心は薄かった[2]。しかし、2008年にシングル「大声ダイヤモンド」で本格的にブレイク。2000年代のCD不況の逆風の中ヒット曲を次々と生み出し、いわゆる地下アイドル出身で史上初めてミリオンセラーを記録し、メディアから「AKB現象」「国民的アイドル」と呼ばれるほどの人気を博した唯一の例となる[2]。CD総売り上げは2011年8月時点で800万枚を突破しており、21世紀にCDデビューした日本のアーティストでは最高売上を記録している。

略歴

2005年

  • 7月、総合プロデューサーの秋元康が主導で「秋葉原48プロジェクト」第1期生メンバー募集を開始する[3]
  • 10月30日、東京都港区の芝浦スタジオで最終審査を開催[4]。全応募者7924人のうち、書類審査で絞られた45人の中から、最終的に24人の合格者(倍率約330倍)が発表される[3]。このうち2011年4月現在もAKB48に在籍するのは前田敦子高橋みなみ板野友美小嶋陽菜峯岸みなみ平嶋夏海の6名。
  • 11月3日、都内スタジオで、夏まゆみ指導による合格者のシアターレッスン開始、約1ヶ月間の集中特訓が行われる[3]。その後、11月23日からは突貫工事中の秋葉原48劇場ステージに場所を移す[5]
  • 当初劇場グランドオープンを12月1日としていた[6]が、11月28日になり1週間の延期を発表[7]、12月8日、秋葉原48劇場杮落としとなる第1回公演を実施。しかし一般の観客は7名であった(72人中65人が関係者)。

2006年

  • 2月1日、初のCDシングル「桜の花びらたち」をインディーズレーベルから発売。
  • 2月4日、シアター公演初の満員御礼を記録[3]
  • 2月19日、第2期オーディション開始。業界初のテレビ電話オーディションを実施[8]。26日に19人の合格者発表、チームK誕生[8]。2011年現在は秋元、梅田、大島、河西、小林、佐藤夏、増田、松原、宮澤が残っている。
  • 3月1日、初写真集「密着!『AKB48』〜写真集 Vol.1 the・デビュー」発売。
  • 4月1日、チームK劇場初公演。初日は満員であったが、3日目には観客数が半減する[8]
  • 6月4日、同7日に発売される2ndシングル「スカート、ひらり」発売記念として、チームA、K初の合同ライブを秋葉原UDXで開催、約1,500人を動員[9]
  • 6月9日、「スカート、ひらり」で、『ミュージックステーション』『音楽戦士 MUSIC FIGHTER』両番組に出演、歌でのテレビ初出演を果たす[8]
  • 7月23日、「AKB48と行く花やしきツアー」開催[8]
  • 8月22日、ファンクラブ「柱の会」結成[8]
  • 10月25日、デフスターレコーズから1stシングル「会いたかった」をリリース、メジャーデビューを果たす。オリコンウィークリーチャート12位[8]
  • 11月3 - 4日、日本青年館で、劇場外で初となるコンサート『AKB48 ファーストコンサート「会いたかった 〜柱はないぜ!〜」』を開催[8]
  • 12月3日、3期生の合格者を発表、チームB誕生[8]

2007年

  • 1月31日、メジャー2ndシングル「制服が邪魔をする」リリース。発売日に渋谷でストリートライブ敢行。同曲はオリコンウィークリーチャートで7位となり初のトップ10入り。
  • 3月10日 - 4月1日、初の全国ツアー「AKB48 春のちょっとだけ全国ツアー 〜まだまだだぜAKB48!〜」を東京、名古屋、福岡、大阪で開催。
  • 4月8日、チームB劇場初公演。初日から千秋楽まで満員御礼となる[8]
  • 7月20日、劇場公演500回目を記念し、紅白饅頭がメンバーから劇場入場者一人一人に手渡される。
  • 8月18日 - 25日、映画「伝染歌」に出演したメンバー10名が、先行上映が行われていた東京都中央区築地の東劇で「ギネスに挑戦 怒涛の1週間・連続舞台挨拶」として30回連続で舞台挨拶を敢行。
  • 9月22日、チームBが、中国北京で行われた「中日文化人懇談会2007〜オープンカレッジ in 北京〜」に秋元康とともに参加、中国芸術研究院でAKB48初の海外公演となるライブを行い、6曲を披露。
  • 12月31日、『第58回NHK紅白歌合戦』に、中川翔子リア・ディゾンらとともにいわゆる「アキバ枠」で初出場。1グループでの紅白出場としては当時最多となる43人が出演[8]

2008年

2009年

2010年

2011年

  • 1月10日付のオリコン週間シングルランキングにおいて、女性グループ初となる4曲同時トップ10入りを果たす。さらに4曲同時トップ10入りは計3週間続き、オリコン史上初の記録達成[11]
  • 2月22日、同月16日に発売されたシングル「桜の木になろう」の初週売上枚数が94.2万枚に達し、発売1週目売上で歴代6位、女性アーティストの楽曲としては宇多田ヒカルAddicted To You」に次ぐ歴代2位となると同時に、同曲以来11年3か月ぶりの初週売上90万枚超を記録。同時に女性グループとしてピンク・レディー以来[12]となるシングル7作連続首位を達成。
  • 2月27日、東京マラソン2011でフルマラソンを完走した秋元才加が、総合プロデューサーの秋元康からメールによりチームKキャプテン復帰を告げられる。
  • 3月4日、「桜の木になろう」の同日付累計出荷枚数が115万枚となり、18枚目のシングル「Beginner」以来2作品目のミリオンセラーとなる[13]
  • 3月11日、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の発生により発生後は終日公共交通機関が麻痺したこと、また劇場内部の施設の安全確認が必要となったことなどから[14]、当日予定されていたSDN48公演[15]以降、当面の公演休止を決定[16]
  • 3月14日、東北地方太平洋沖地震の影響による計画停電実施等の影響を勘案し、3月25日から27日まで横浜アリーナで開催予定だったAKB48コンサート「たかみなについて行きます」を中止することを発表[17]
  • 3月14日、東北地方太平洋沖地震の被災者へ向けたAKB48プロジェクト義援金受付口座をりそな銀行渋谷支店および三菱東京UFJ銀行五反田支店に開設[18]。翌15日、AKB48プロジェクトとして同口座に5億円を寄付することを発表[19]
  • 3月15日、4月6日発売予定であった3rdアルバム『ここにいたこと』の発売延期[20]、および劇場盤発売記念握手会の開催中止・劇場盤のキャンセル[21]を発表。なお3月29日に、『ここにいたこと』の新たな発売日を6月8日と発表[22]
  • 3月26日、『チームA 3rd Stage「誰かのために」』公演曲の再収録版「誰かのために -What can I do for someone?-<配信限定チャリティソング>」をレコチョク着うた』『着うたフル』『着うたフルプラス』 で4月1日(ビデオクリップは同6日 映像の内容は沖縄国際映画祭への飛び入り、「たかみなに――」の中止の代替として行なわれた横浜アリーナでの義援金 募集の様子、再レコーディングのスタジオで「私たちにできることをしなくちゃ」と涙ぐむ高橋みなみの姿など)から配信し、全収益を東北地方太平洋沖地震被 災者へ寄付することを発表[23]
  • 3月26 - 27日、当初25日からのコンサートに使用する予定だった横浜アリーナにて『「誰かのために」チャリティイベント』開催。
  • 3月29日、「AKB48プロジェクト」改め「誰かのためにプロジェクト」[24]の一環として、21stシングルを5月25日に発売し、収益の一部を東北地方太平洋沖地震の義援金として寄付すること、併せて、「22ndシングル選抜総選挙」を開催することを発表[25]
  • 5月25日、21stシングル「Everyday、カチューシャ」を発売。発売初週に133.4万枚を売り上げ、初週ミリオンを達成。
  • 6月6日、チーム4が結成される。メンバーはいずれも昇格内定(配属先未定)組とされ、場合によっては研究生扱いされていた。
  • 5月 - 6月にかけて『AKB48 22ndシングル選抜総選挙』(第3回選抜総選挙)を実施し、前田敦子がセンターを獲得。
  • 8月24日、22ndシングル「フライングゲット」を発売。8月23日付オリコンデイリーチャートで約102.6万枚を売り上げ、オリコンランキング史上初となる発売初日ミリオンを達成[26]。また、初週に135.4万枚を売り上げ、前作に続き2作連続の初週ミリオンとなった[27]
  • 詳細

    専用劇場(後述)で行われるコンサートは全て「公演」と銘打っており(「ライブ」「コンサート」と呼称されることはない)、2011年現在でもグループ活動の肝となっている。公演は全てオリジナル曲で行われ、オリジナル曲の数は2010年12月現在で380曲を越える[28]。また、そのうちのほぼ全ての楽曲で総合プロデューサーの秋元康が作詞を担当[29]している。

    メンバー間及びメンバー以外とのは恋愛禁止とされている(厳密には片想いはOKだが、両想いは厳禁とされる。ただ、恋愛相手がメンバー以外であり、 片想いから両想いになった場合や、両想いであるが、当人同士がそのことに気づいていない場合などのルールは決まっていないため、形骸化されているものとさ れる)[30]。メンバーには、特に初期に加入した者を中心に「AKB48は一つの通過点」という認識を持つ者が多く、全員が歌手を目指している訳ではなく、歌手・声優ファッションデザイナー女優など志望する職業まで様々である。ただし、AKB48が音楽番組等に出演、さらにメジャーデビューしたことにより、AKB48が「結構知ってる存在」になった[31]ため、特にメジャーデビュー直後の第三期オーディション以降に加入したメンバーには、AKB48そのものが「大好きで入りたい」という者も多く[32]大島優子によれば、特に8期生以降の新加入メンバーにはその傾向が顕著となっている[33]。公式ブログのタイトルが示すように、東京ドームで のコンサート開催を目標に置いている。当初は、メジャーデビューを目標にしていた。メンバーが着用する衣装のデザインは女子高生の制服をモチーフとした形 と思われるがデザイナーの茅野しのぶが一手に担当しており、各楽曲のイメージに合わせてデザインした衣装に、各メンバーのキャラクターや体形に合わせ調整 を加えるため、その総数は1000着を超える。2010年代に入り、楽曲「言い訳Maybe」の衣装に使用された赤チェック柄が女性の間で流行するなど、 ファッション業界からも注目されるようになっている[34]。なお、実際の製作作業には、京都造形芸術大学も協力している[33]

    グループ名の由来

    グループ名のAKBの由来は、ホームグラウンドが位置する秋葉原(あきはばら、AKIHABARA)からである。当初募集告知をした際には、「秋葉原48プロジェクト」と銘打っており[35]NTTドコモとのメンバー募集タイアップCMなどを始め、インディーズデビュー当時の各種メディアでは「Akihabara48」とされていたこともある。その後、グループ名は「AKB(エーケービー)48」に統一されたが、公式ブログのURLは現在も「akihabara48」となっている。

    48の由来は、秋元康のイメージでは「あくまで商品番号で意味はない」と語っている。その名の通り、構成人数は総勢48名程度である (メンバーの入れ替わりにより、多少の変動はある。48人で活躍している時期が長いが、必ずしも48人でなければならないという訳ではない)。初期の構想 では1軍24名+2軍24名の計48名というものだった[36]。なお、結成当初の所属事務所であるoffice48の社長の芝幸太郎の姓(芝=48)からと48と決めたとする説もあり、真偽は不明となっている。

    AKB48劇場

    ドン・キホーテ秋葉原店の8階にある専用劇場「AKB48劇場」をホームグラウンドとして活動している。また、ドン・キホーテ秋葉原店の5階にはDVDやグッズを販売する「AKB48 SHOP」が開設されている。

    なお、2009年6月からはシアターGロッソ東京ドームシティ)をセカンドフランチャイズとして、不定期で公演を行っている。

(以下長文続く)

見たまま編集によれば1エントリーで約11,100字が上限らしい。原稿用紙にすると400字詰27枚の内容になるが、HTMLタグを含むかは不明。一応、頭に入れておこう。